1 七十二歳
2 渋川九年目
3 縁あって
4 ちょうどよさ
5 知友
6 ロックンロールの男
7 地に足
8 市会議員
9 その後
10 新メディア
11 形を変えて
12 いまの形
13 変わらないこと
14 現場主義
15 足
16 条件
17 手作り
18 机の上ではない
19 行き先
20 必要だったもの
21 軽トラ
22 仕事
23 現場
24 それだけじゃない
25 運べる
26 断捨離
27 モノ好き
28 息苦しさ
29 外へ
30 一トン
31 少しずつ
32 重さ
33 鼻歌
34 The Weight
35 意味
36 自分の中
37 二代目
38 サンバー
39 農道のポルシェ
40 別れ
41 いま
42 譲れない
43 オートマ
44 フロアシフト
45 実感
46 ローハイド
47 エピローグ①
48 エピローグ②
49 エピローグ③
番外 老廃人(ローハイド)
50 ラスト
私は、七十二歳になった。
東京から渋川に来て、
家族と離れて独りで暮らすようになり、
気がつけば九年目になる。
渋川には、
縁あって足を踏み入れた。
東京とは違う空気があり、
少し静かで、
少し遠くて、
少し不便で。
それが、その頃の自分にはちょうどよかった。
渋川に縁ができたのは、
一人の知友がいたからだ。
彼は渋川の男で、
原宿で出合った頃は
ロックンロール・ファッションメーカーの
デザイナー兼社長だった。
派手な世界に身を置きながらも、
足はいつも地面についている男だった。
久しぶりに会ったとき、
彼は市会議員になっていた。
地元では、なかなかの信望を集めていた。
その後、
市会議員は退任した。
だが今も、
事業家として腕を奮っている。
彼との出会いと話から、
渋川市の新しいメディアとして
「渋川ドットテレビ」は誕生した。
記念すべき第一号でして、
表紙の笛吹きおじさんは、
ご近所のガソリンスタンドのご主人で、梅笛(ばいてき)
のお師匠さんなのですよ
いろいろな事情もあって、
そのままの形では続けられなかった。
だが、スピリットは失われなかった。
現在は、
市議会議員のコミュニティペーパーとして、
渋川の現場と声を伝え続けている。
渋川ドットテレビは、動画サイトにタブロイドをプラス。
ふくぺーは、タブロイドに動画をたっぷり載せたもの。
形は変わった。
けれど、やっていることは変わっていない。
現場へ行き、
人に会い、
声を拾い、
余計なものを足さずに伝える。
そのための足として、
軽トラは今日も走る。
予算は限られている。
芸能人など使えない。
だから、
地域を巡ってネタを集める、
手作りのローカルメディアになった。
このメディアは、
机の上で完結するものではなかった。
山へ。
川へ。
農道へ。
農地の縁まで。
必要だったのは、
どこへでも縦横無尽に動ける足だった。
そこで選んだクルマが、
軽トラックだった。
渋川の足。
軽トラは仕事にも役立っている。
機材を積み、
人に会い、
撮り、
帰って編集する。
だが、それだけではない。
思い立ったときに、
そこそこの量でも
モノを運べる。
だから、
断捨離にも
しっかり貢献してくれている。
私はモノが好きで、
倉庫まで借りるほど溜め込んでいた。
だが、
気がつけば息苦しさを感じていた。
軽トラは、
その息苦しさを
少しずつ外へ運び出してくれた。
廃棄センターへ運んだ量は、
合わせて約一トンになる。
一気ではない。
少しずつ、
何度も。
それは、
呼吸を取り戻した重さだった。
片付けのとき、
鼻歌が出る。
ザ・バンドの
「The Weight」。
重さを背負う歌ではない。
重さを分けて、降ろす歌だ。
私は、
自分の中の重さも
置いてきたのだと思う。
軽トラは、
実は二代目だ。
最初は
ポンコツのサンバーだった。
ミッドシップで、
「農道のポルシェ」。
ラジエターが逝き、
潔く別れた。
いまは、
新車のスズキ・キャリー。
四輪駆動。
これは譲れない。
オートマは選ばなかった。
フロアシフト。
それだけは譲れなかった。
クルマと会話する感じ。
身体の延長。
ローハイドは、
少年時代の「夢のアメリカ」だった。
かつて、
馬を駆って牛を追った。
私は、
軽トラでネタを追う。
今日もフロアシフトを握り、
軽トラで走る。
若い方から見たら私は老廃人(ローハイド)かもしれないけど、もう少しムチ打って楽しんでみるからよろしくね。
♪老練・老練・老練、
ヒヤアアアア、ビシッ!